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01 first contact 1

 第一印象は悪くなかった。むしろ自分以外にこんな物好きなことをするやつがいるのかと関心したくらいだ。人は好さそうだけど気が弱いわけではなく、一言で言うのなら「意外とできそうなやつ」。

 けれどまあ、第一印象なんて八割方間違っているものだ。

When can I see you again?─first contact─

 

「昴にそこまで言わせるってことは、よっぽど変人なんだ?」

 片倉巡璃がくるくると自由な方向へ撥ねる髪を揺らす。一緒に仕事するこちらからしたら笑いごとではない。昴は小さく息を吐いた。

 中学に上がって最初の冬、外で人を待つには寒いなと昇降口の隅で小さくなっていたら、それを目ざとく見つけた巡璃が寄ってきた。昴じゃん、なにやってんの。人待ってんの。へー誰、あたしもいていい? 拒んでも居座ることはなんとなく分かっていたので特に咎めもしなかった。

 巡璃はマフラーを口元まで引き上げて外を見た。空は今にでも雪を零しそうなほどに暗く重たい。走り回っているサッカー部でさえ寒そうだ。

「……知ってますか昴さん」

「どうしたんだよ急に、さん付けとか」

 気持ち悪いぞと続けるも、巡璃は気にした風もなく、外を見つめたままだ。まあ一年足らずといえど彼女ほどクラスの中心人物であれば、なんとなくその反応を返してくるだろうなあと予想はついたけれど。

「あたしと昴、付き合ってるらしいよ」

「……へえ、それは知らなかった」

「うん、あたしも今日友達に教えてもらって初めて知った」

 しばらく真面目な顔をして沈黙してみる。そうして、同時に吹き出した。

「いや、マジかそれ! そんな噂あんのか!?」

「ホントだって! あたしも笑っちゃったっての、昴とか、いやないわー」

「なくないだろちょっとくらい」

「ないない、付き合うとか考えらんない」

 ひいひいと涙さえ浮かべつつ爆笑を続ける巡璃につられるように、収まりかけた笑いが再びこみ上げてくる。中学上がってすぐといえば妙に大人ぶりたくなる時期であって、急に男女間に壁ができたりするものだが、昴と巡璃の間にはそれがないとお互い直感していた。というのは、巡璃は基本的に誰とも楽しく盛り上がりたい精神で動いているし、昴はといえばそもそも同じ「人間」という括りであって、どうして急に異性を意識したがるのか分からないでいる。どうにも恋愛は自分にとって縁遠いものらしい。

 かくして昴にとって巡璃は「仲の良い女友達」であり、巡璃にとっても同じという関係が成立していた。

 巡璃はようやく笑いの波が去ったのか一つ深呼吸して振り返る。

「てか遅くない? その生徒会、うわ!?」

 巡璃の奇声に目を丸くする。彼女は口をぱくぱくさせて、昴を指差した。いや正確には昴ではなくて昴の後ろの。はっとして振り向くと、小柄な少年がにこにこしながら立っている。昴は目を据えた。

「来たんなら声をかけろよ」

「いや、かけようと思ったんだけど、なんか二人とも楽しそうだったからさ」

 悪びれずへらりと笑う待ち人に力が抜ける。平均より低めの身長も相まって幼く頼りない姿を上から下まで確認して、また脱力した。

「遅かったな早瀬。鍵返しに行っただけだろ?」

「あ、うん、そうだったんだけど、ほら、先生がお饅頭くれてさ、佐橋君と分けようかと」

 理由になっていない理由に思い切り息を吐く。また餌付けられていたのか。一言いってやるべきかと口を開くも、思考が再開したらしい巡璃が遮る。

「ちょっとちょっとちょっと昴! なにこの子! 可愛い! 弟に欲しい!!」

 ばしばしと肩を叩いてくる彼女にとりあえず痛いと苦情を言う。これはこれで気が抜けるというか。けれど多分彼を紹介するまで彼女は静かにならないだろうという気がしていたし、実際そのような素振りを見せているので、とりあえず紹介しておくことにする。

「巡璃、こいつ早瀬十夜。生徒会書記。今日はこいつを待ってた」

「初めまして、早瀬です」

「同い年な、念のため。で、こっちが片倉巡璃。俺と同じクラス」

「巡璃でいいよー、よろしく早ちゃん!」

「はやちゃ……? 分かった、じゃあめぐりんで」

 お互い自分の呼びやすい名で呼ぶ傾向のあった二人だが、意外とあっさり打ち解ける。彼、早瀬十夜も基本的に来る者拒まずだ、普段は。十夜はあ、と声を上げた。

「じゃお饅頭三等分しなくちゃか……」

 さも深刻な問題だとばかりに難しい顔をする十夜に、巡璃が笑う。そんな二人を横目に、昴は十夜との初対面を思い出し、息を吐いた。

 

 初めて十夜と会ったのは後期生徒会役員立候補のときだった。立候補者の集まりは悪く、昴が立候補に生徒会室を訪れたときも、まだ二枠の余裕があった。当時生徒会長であった三年が、昴を見て嬉しそうに言った。

「今年は一年生が二人もか。豊作豊作」

「二人?」

 昴は思わず訊ね返していた。一年生のうちから生徒会だなんて物好きもいたものだ。担任に土下座するとまで言われて仕方なく出てきた昴からしたら、もはやなにもかも意欲のある人物に錯覚しそうだった。まあ実際そうかもしれないし、逆に自分と同じように教師に頼まれて、という形もありえるが。

 生徒会長が、彼だよ、と示す先にいたのは、自分より小柄な男子だった。そのときの印象が、「意外とできそうなやつ」。彼は銀縁眼鏡の奥で瞳を笑ませた。

「早瀬十夜です。よろしく」

 柔らかいがはきはきとした物言いに昴はぼんやりああ、と返した。生徒会長は昴の持ってきた書類に判を押しながら言う。

「早瀬くんは書記、で、君、ええと、佐橋くんね。は、会計希望か。まあ一年同士、色々タッグ組んでやってもらうことになると思うから、仲良くね」

 昴は生徒会長から立候補受理確認を受け取りながら曖昧に返事をする。まあ、十夜であれば自分の仕事最小限で済むことだろう。

 昴はさっさと生徒会室を出た。悪目立ちするようなことは今後も極力避けるつもりだった。生徒会室に長居は無用だ。早歩きでその場を離れようとすると、背後から十夜が佐橋くん、と昴を呼び止めた。振り返ると、十夜は眼鏡を外しながら歩み寄ってくる。そして。

 ふにゃり、と、笑った。

「これからよろしくね。佐橋くんって何組?」

 昴は数瞬思考を停止させた。

 ……誰だこれは。

 最初見たときも、十夜は柔らかい雰囲気を纏っていたが、それでもどこか芯の見える少年だった。しかし今自分の目の前にいるのは柔らかい、というか甘いというか軽いというか、抽象的な言葉を使うのならば「ふわふわ」している。ヴィジュアルとしては眼鏡をしているかどうかくらいの違いだが、誰だ、これは。

 彼は不思議そうに小首を傾げ、あ、と目を開いた。

「ごめん、びっくりしたのかな。ええと、僕ちょっと裏表が激しいみたいで……」

 裏表ってレベルだろうか。申し訳なさそうに視線を下げる十夜に、二重人格、なんて単語が過った。しかし、妙だな、と何かが引っかかるも、ぎこちない思考回路ではそれが何かは分からなかった。

「……佐橋くん?」

「……え、あ、悪い。クラスだっけ、俺は一組」

「僕は六組。そっかあ、ちょっと離れてるからお互い知らなくても仕方ないか」

 一人で納得する十夜に、なんだかもう正常な思考が働いていないようで、ようやく考えられたのは、こいつ、まだ声変わりしてないんだな、なんてどうでも良いことだった。

 

 その後、生徒会役員の残り二枠はなかなか埋まらず、特に選挙の必要もなく、昴と十夜は役員に就任した。面倒なことに後期の生徒会の仕事は、体育祭に文化祭と非常に多かった。しかしどちらもなんとか無事に終了して、今日もそれらの後処理に追われていた。

 ちらりと時計を見遣る。四時五十分。そろそろ下校を急かすチャイムが鳴るだろう。昴は未だ饅頭の分割を真剣に悩む十夜と巡璃に声をかけた。

「おい、そろそろ帰るぞ」

「あ、うん、ちょっと待って」

「早ちゃんもういいじゃんか、手の感覚で一思いにさぁ!」

「めんどくさいなお前ら。もう俺良いから二人で分けろよ」

 言って、先に外に出る。本格的に雪が降り出しそうな空に思わず息を吐くと、なにもない空気を白く染めた水蒸気が風に揺らいで消えた。

「佐橋くん、」

 後ろからついてくる十夜に、本当に下手をしたら弟のように見えるなと思う。言ったら彼は怒るだろうかと考えて、いや、ないなとすぐに否定した。仕事モードならいざ知らず、今の彼が怒るだなんて想像ができない。

 十夜は微笑みながら、半分に割った饅頭を差し出してくる。反射的に受け取って、良いって言ったのにな、と思った。

「ほら、これはめぐりんの」

「ありがとー! てか、早ちゃん良かったの? お饅頭、あたしと昴と二等分で」

 巡璃が言葉にして初めて気が付く。十夜は結局三等分を諦めて、昴と巡璃に半分ずつ渡したようで、もう彼の手元には包み紙しか残っていない。十夜はいいんだ、と笑う。

「僕はね、みんなが幸せそうな顔してるの見るのが好きなんだよ」

 だから僕はいいんだよ、と言う彼は、ひょっとすると自己犠牲も厭わないような人間なのかもな、とぼんやり思う。そうした人間の生き方は強く美しく、そして矛盾するように脆い。

 感激いたように十夜に抱きつく巡璃を引っぺがして十夜を救出する。マフラーを巻き直しながら礼を言ってくる十夜に、ふと問いが口を突いた。

「生徒会やってんのもそれか?」

「え、あ、うん、そう。行事とか、みんなが楽しい方がいいからさ、なにかできたらいいなぁ、とかって」

「早ちゃん超良い子じゃん! ね、やっぱ弟にこない?」

「ええ?」

 ばしばしと十夜を叩く巡璃を適当に制止する。しかし、と視線を手元に落とし、歪な半月型に割られた饅頭を見る。考えながら、違うことを口にする。

「俺さ、早瀬と初めて会ったとき、お前は二重人格なんだと思ってたんだけど、」

 十夜は不思議そうにこちらを見、巡璃はえ、と零して十夜を見た。その仕草で、巡璃は知らなかったなと思い出し、十夜は眼鏡をかけると人が変わると簡単に説明して、続ける。

「けどそれって正確には違うよな? 二重人格障害って確か、二重人格を自覚してないらしいけど、お前、意識して使い分けてるだろ」

「あー……そう、だね。あれはどっちかっていうと暗示とか思い込みに近いかなぁ」

「それを知って俺がお前に抱いた第一印象ががらりと崩れた。第二印象のお前は『変なやつ』だ」

「ええ、断言?」

 苦笑いする十夜に、巡璃は会話の途切れを敏感に察知して、十夜に眼鏡をかけるようせがむ。あまりやるとそいつ、眼精疲労でぶっ倒れるぞ、と一応忠告しておく。事実、十夜は文化祭で倒れた前科持ちだ。

 巡璃にせがまれて渋々眼鏡をかける十夜を見ながら、思う。第一印象は「意外とできそうなやつ」、第二印象は「変なやつ」、けれど今、彼をちゃんと知ってから思うのは「やっぱりしっかりできるやつ」だった。信頼どころか尊敬できるくらいに真面目で、いいやつだ。

「おい、」

 声をかければ、二人はほとんど同時に振り返る。昴は手元にある饅頭をさらに二つに割って、その一欠けを十夜に放る。どうせ落としはしないだろうと踏んでだったが、彼は予想通りキャッチした。

「別にみんなの幸せ大好き精神でもいいけど、お前も適度に欲出せよ、十夜」

 言ってからなんだか照れくさくなって、残った四分の一の饅頭をさっさと口に放り込む。十夜は虚を突かれたように昴と自身の手元を見比べて、ぽつりと呟いた。

「これは、認めてもらったってことなのかな」

「……てゆーか、昴はとっくに早ちゃんのこと認めてたよね?」

「うるさいな!」

 二人の口調は至極真面目だったが、からかわれたのだと察した。巡璃は笑い、十夜は軽く謝りながら眼鏡を外す。そうして、微笑みながら昴を見上げた。

「ありがとうね、ええと……」

「あ、言い忘れてたけど変な呼び方するなよ!? 俺は、」

「──すばる」

 彼にしては珍しく直球な呼び名に、一瞬ついきょとんとして、やっぱり照れくさくなってぶっきらぼうにああ、と返す。巡璃がにやにやしながらこちらを見ていたのが少し悔しくて、軽くはたいておいた。猛抗議してくるけれど気にしない。十夜が声を上げて笑った。

 一通りぐちぐち言って気が済んだのか、でもまあ、と巡璃は前置いて、昴と十夜を交互に指差す。

「あたしとしては今後、どっちが生徒会長やるか気になるかもね。二人とも、生徒会続けるんでしょ?」

 そんなことない、なんて言葉が出てこないのが我ながら不思議だった。けれど悪い気分ではなくて、どっちだろうな、と笑いながら応えた。

 その後、別々の高校でどちらも生徒会長をしているなんて、想像もしなかったけれど。


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