02 first contact 2
その頃の僕は一言で言うのなら、荒んでいたのだと思う。
厄介なことに僕はそこそこに理解力があったりして、大人の事情は深読みできたし、家庭の事情なんかもたいてい察しがついた。妙に鋭いのだ、昔から。複雑な家庭を描いた家族ドラマは嫌いだ。本当に複雑な事情を抱えた家庭の問題はたかだか15時間で丸く収まるようにはできていない。無責任な人間ってのは、その性格を直そうとしないからこそ無責任でありうるのだ。やりたいことだけ取捨選択して、失敗したら切り捨てて、後始末なんて単語は浮かびさえしない。どいつもこいつもなにもかもすべてすべてすべて。
煩わしい。
When can I see you again?―first contact―
家庭の事情ってやつで僕がフランスに越してきて、もう2年ほどになる。
勉強はまあ、そこそこできるし、運動だってそうだ。愛想が悪いわけではなかったから別に人間関係は苦労していない。フランス語はまだ不自由だが、英語があれば大抵のことは伝わった。
こちらに来てから2年、時間ができれば散歩に出ていた。家が嫌いってわけではない。けれど特別好きだとも思えなかった。義父と義弟と、二人も欠けた家庭は、過去にも味わった感覚をよみがえらせる。秋の夜の冷たい隙間風のようなものが、急速に思考速度を落として抜けていくような、夢から叩き起こされたような、とにかく冷たく乾いた感覚。毎日が色を失ったような、なんて重ねたら少しばかり過剰かもしれないが、年頃特有の歪みたがりな思考は、そんな表現を好むようだ。
「カイル!」
思考を遮るようにかけられた声に、僕は片手を上げることで応じる。声をかけてきた彼はフランス人ではない。不思議なもので、「フランス人ではないものグループ」のようなものが構成され、それは多国籍であるにも関わらず、その仲間内は存外、強固な信頼関係で結ばれていたりもする。
「バスケしないか、一人足りないんだ」
奇数でスポーツをしようと思うなよ、なんて皮肉ったような言葉が過る。しかしそれも一瞬に留め、構わないよと応じて歩み寄る。
「本当は3on3やるつもりだったんだけどさ、急遽参加したいっていう子がいてさー、あ、カイル、そいつら日本人だぜ」
「へぇ、新しく越してきたのかな」
「いや、旅行らしいけど」
僕は思わず眉を寄せた。旅行者が地元の子供と交流しようとはまた珍しい。観光旅行ではまずありえないと思うが。
そもそも同じ年頃の日本人で英語に不自由しないというのも、まあ最近では増えてきてはいるようだが、フランスで見かけることはない。とにかく、変わり者もいたものだと思う。僕は一つ息を吐いてから、家以外では随分と久しぶりに日本語を口にした。
「えっと、で、その飛び入りくんは誰?」
「あら、日本人さん?」
予想外に高い声に、僕はつい動きを止めた。バスケに参加したいと言っていたのだから勝手に男だとばかり思っていたのだが、まさか。
声のした方に視線をやると、そこにいた少女は上品に笑みを浮かべている。嘘くさいな、と直感した。しかしそれにしても、あまりにも運動をしそうとは言い難い雰囲気に、言葉に迷った。
「カイルさん、って呼ばれていたからてっきり、」
「名前は?」
「……あら、すぐに女性を口説くのはフランスではなくイタリアの方かと思いましたけれど」
国籍は関係ないだろ、なんて内心悪態をつく。だいたい、質問の答えになっていないんじゃないか、それは。うんざりしたのが顔に出てしまたのか、少女はくすりと笑って冗談ですよ、と言葉を継ぐ。
「プレイの際に必要なんですよね。わたしはふつき。伊集院二月です」
「オーケー、じゃあ、」
「けど、」
わざとらしく言葉を遮られて軽い苛立ちを覚える。なに、と振り返ると二月は相変わらず微笑んだまま、すっと人差し指を伸ばした。
「参加するのはわたしではなくて、妹の方です」
「……妹?」
彼女の指差した先に顔を向ける、と。
「……!?」
目の前に二月の顔があった。
いや、まさか。物理的にもそんなことは無理だ。別人、同じ顔、妹、そうか妹か。
「……双子?」
「あたり! びっくりした?」
二月と同じ顔が発する言葉は二月よりも元気がよくはつらつとしていて、また一瞬面食らうも、怯むまでのことではない。しかしやられっぱなしもなかなか悔しいので、仕返しも込めてにっこり笑ってやる。
「ああ、びっくりした」
二月の妹がきょとんとする。背後で二月があら、と声を上げた。やはりこの反応は彼女たちの予想にはなかったらしい。つまりこれまでかなりの成功率でこういった悪戯をこなしてきたと。可愛らしい見た目の割に油断ならない。
「じゃあ妹ちゃんの方が参加ね。僕のチームでいいよね?」
「えー、カイルは強いの?」
「そこそこね」
「じゃあやだ」
「……は?」
疑いなく肯定が返ってくるものだと思っていた僕は、まさかの拒否に反応が遅れてしまった。彼女はびしっと指を突き出して、笑う。
「宣誓! あたし伊集院三月は本日バスケでカイルを倒すことを誓います!」
あ、こいつアホの子だ。察した瞬間、つい白い目を向けてしまった気がする。この双子、似ているようでその実全然似てない。
「……あ、うん、じゃあ、やろっか?」
まあここまで堂々と宣言されては、負けてやる気も失せるわけだが。
結果としては、まあ、僕が勝った。圧勝だった。
そもそも三月は女の子だし、聞けば僕より二つ下らしいから当たり前といえば当たり前だ。いや、それ以前に。
「未経験って……どういうこと?」
「だからー、あたし今日初めてバスケやったんだってば」
へらへらと笑う三月に呆気にとられる。なめてるのか。
「三月、わたしの勝ちね。ジュース奢りよ」
「げっ忘れてた……!あーも、二月に賭けで勝てたことないー」
しかもなにか賭けていたらしい。遊ばれているのだろうか、僕は。目を据える僕に気付いた二月が、ごめんなさいね、と微笑んだ。
「三月がどんなスポーツでも自分は最強だって言うから、じゃあ飲み物でも賭けましょうかっていう話に持ち込ん、いえ、そういうことになって」
さりげなく言い直す彼女に確信する。妹の方は完全に、アホの子だ。
よろしければカイルさんもどうぞ、と、奢るわけでもないのに二月が言う。口止め料ってことだろうか。
しかし僕や彼女の年頃にとっては飲み物ひとつとて財布には痛手のはずだ。そう思い遠慮を口にする。すると彼女たちは顔を見合わせ、苦笑いした。
「いーって、気にしなくて。昨日の敵は今日の友っていうじゃん?」
「いやまだ日変わってないけど」
「まーまーまーまー! あたし今凄くジンジャーエールな気分だからみんなそれでいいよね!」
三月は話を聞かずどこかに電話をかけ始める。おいおい。
「あれ、日本製のケータイでしょ? 電話代大丈夫なの?」
「え、ああええ、多分大丈夫ですよ」
気にしたことなかった、なんて素振りで応える二月に、ある予感を抱く。三月がそうだと言われたら正直疑うが、二月なら納得がいく。つまり。
「君らって実は、お嬢さまだったり?」
「そういう区分になるかもしれませんね」
あっさりとした返答だからか、それとも二月の言葉だったからか、特に驚いたことではなかった。それならなるほど、通話料や飲み物代なんてどうってことないらしい。僕の家も結構に金持ちな自覚があったが、上には上がいるものだ。
「ていうか、だったら奢りとかあんまり意味なくない?」
「それは、だって、ただ自分で買うより、勝ってなにかもらったほうが楽しいでしょ?」
二月の意見に、随分面倒な過程を踏むんだなと思った。ただ一瞬、楽しむためだけに。
「三月ちゃんはなんでバスケやろうと思ったわけ?」
電話を終えたらしい三月に訊ねてみる。三月はえ、と零して即答した。
「楽しそうだったから」
「じゃあ、二月ちゃんの賭けに乗ったのは?」
「面白そうだったから」
三月の回答に、こっちもか、と思う。似ているようで似ていないこの双子の根本は、やはり同じところにあるらしい。変なところでやっぱり双子かなんて思い知る。
思わず息を吐いた僕に、二月が語りかけてくる。
「つまりね、わたしたちは結果よりも過程に重きをおいているんです。できあがったクッキーを買ったっていいけれど、一から作ったほうが味付け、型抜き、焼き加減にトッピング、その気になれば一服盛ったり、楽しいでしょう?」
最後のは完全に犯罪だけど、と内心突っ込む。なにか因縁でもあるのだろうか。しかし三月に関しては「一服盛る」の意味が分かっていないらしく、二月に訊ねたりしている。服の上に盛り付けるのよ、なんて適当すぎる返答をされているが。
「楽しい?」
口を突いて出た言葉に、僕は自ら苦笑した。彼らは見るからに、楽しそうだ。愚問だった。
「カイルは楽しくないの?」
さも当然の疑問だというような顔で聞き返してくる三月に戸惑う。まるで自分が特異になったような錯覚に陥る。けれどそれら全部を先ほどからの苦笑で覆い隠して、考えたことないよ、なんて答えた。三月は一度不思議そうに首を傾げ、あ、と声を上げる。
「あのね、これはあたしらのお祖父ちゃんの言葉であたしも大好きな言葉なんだけどね、“結果は点で過程は連続”なんだよ。両方楽しんだ方が得じゃん? っていう」
「ちょっと違うけど……お祖父さまが言いたかったのは多分、結果っていう一瞬を楽しむより過程を楽しめたらいいねっていうことじゃないかしら」
「いや、お祖父さんそういうことを言いたかったんじゃないと思うけど……」
けど、と思う。彼らは勝とうが負けようが同じに明るい。なにもかも楽しんで生きていたら、そんな風になれるのだろうか。彼らほどまでいかなくたって良いが、けれど確かに、楽しい人生かそうでない人生かと言われたら、楽しい方が良いに決まっている。結果は点で過程は連続、あるいは結果さえ過程の一部であるのなら、過程を楽しめば嫌でも結果は明るいものかもしれない。なんというかこの双子は恐ろしく、前向きだ。
「お、来た来た」
三月の声に顔を上げる。僕らの前でタクシーの扉が開いた。お迎えだろう。大金持ちっていったら黒塗りの高級車かと思ったが、意外に庶民的らしい。
「ほら、カイルも乗って」
「は?」
「伊集院フランス邸にご招待ってこと」
ぐいぐいと手を引く三月に言葉を失う。フランス邸、って、なんだ。旅行だと聞いていたしてっきりホテルに部屋を借りているものだと思っていたが、どういうことだ。
「ちなみにわたしたち、フランスへは観光ではなくて、父の出張についてきただけなんです」
見透かしたようなタイミングで言う二月にどこか遠くでなるほど、と思った。頻繁にこちらに来ていたとしたら、名所は行き飽きたということだろう。どうりでこんな住宅街に。
「ていうかそのフランス邸はどこにあるわけ?」
「郊外ですよ。ここからそう遠くないところです」
「父さんの趣味で美人の使用人とかいてさー、堅っ苦しいたらないの」
それはまた結構な邸宅だが、我ながら呑み込みが速いのかあるいはもう理解を諦めたのか、だんだん驚かなくなってきている。三月が隣で伸びをした。
「今回も兄貴が来てんだけどさー、飽きもせず使用人口説いてんだよね」
「へぇ、お兄さんいるの。いくつ?」
「あたしらの四つ上。五月五日こどもの日生まれの五月にーさん」
「じゃあ僕の二つ上か」
「そーそ……え、待ってカイルってあたしらより二つ上!?」
慌ててこちらを振り返る三月にきょとんとする。言っていなかったかと助手席の二月をバックミラー越しに見やれば、彼女は苦笑いを返してくる。……それは一体、どっちだ。サイレントのやりとりで思い悩む僕をよそに、三月は頭を抱えてなにやらぶつぶつ言っている。かと思うといきなりがばりと頭を上げて、言った。
「カイルさん、タメ口でもいい!?」
「……え、」
あたし敬語苦手でさー、なんて彼女は視線を彷徨わせる。なんだそんなことかと了承する。三月は安堵の息を吐き、二月はくすりと笑った。
「あ、丁度いいしさ、兄貴紹介するよ。兄貴ってバカなくせに、女の子タラシ込むスキルだけは超一流でさぁ、毎日楽しそうだし、カイルさんもそのスキル教えてもらったら楽しいかもよ?」
「タラシ込む、ねぇ……」
不意に二月がフランス語を発した。なんだ、フランス語も喋れたのか。車内でよく分からない言語が飛び交っていたからだろう、タクシードライバーは聞き慣れた言語にほっとしたような顔をする。
三月が携帯を確認して、ジンジャーエールできてるって、と誰にともなく言う。買うじゃなくて作る、だからますます奢りの意味がないな、と思った。
タクシーが止まる。窓の外は、なるほど確かに邸宅だ。ドライバーも動揺しているように見えるが、二月と三月は代金を少しだけ多めに置いてさっさとタクシーを降りる。その後ろ姿を見て、ふとくだらないことを閃いた。はたして本当にそんなことで毎日が楽しくなるなんてほとほと疑問ではあるが、まあ、いい、やってみたらきっと分かるだろう。
「ねえ、」
タクシーを降りて二人を追う。丁度彼らが振り向くところでわざとらしく胸に手を当て、腰を折る。
「よかったら僕とお茶しない?」