05 Free Rule
春も近づいてきたが、日が射さないとまだまだ寒い三月初頭。篠宮高校の中庭で行われていた。
「なんだって俺がこんなこと……」
「だから簡単に筋トレくらいしとけっつったろー」
ぜえ、とパワーアンプを下ろし肩で息をする月島踏夜に、ジム誘っただろ、なんて篠崎七雲は言ってのける。しれっとした風の彼は、しかしシールド三束を腕に引っかけ、キーボードスタンドを抱えている。その向こうではせっせと牧田拉流がドラムセットを組んでいるし、踏夜のそばでは久賀九音がアンプとミキサーとスピーカーとを繋いでいた。
「……つーか、なんでそんなノリ気なわけ」
特に九音なんかは、今回の計画には渋い顔をしそうなものだ。いや、というか実際彼女はだいぶゴネた。今回のために特別に組まれたグループチャットで計画は進んだ、その様を見ていたのだから、彼女が折れる瞬間も知ってはいるのだけど。
じと、と九音を半ば睨むように見下ろすと、彼女は決まり悪そうに少し目を逸らす。
「……あんただって、楽しいでしょ」
なにが、とは言わないが、踏夜はその言葉を正確に理解して、反論できずにやはり決まり悪く口を噤んだ。
たたたん、控えめに拉流がドラムを鳴らす。調子だけ確認、というのは心得ているらしく、それ以上叩きはしなかったが、気が逸るのだろう、体を縦に揺らしつつ、覚えたばかりだというスティックトリックを繰り返す。回す、回す、時折落としてまた回す。回しまくる。のびる
「嶋本ちゃんの情報によるともうそろそろだったよな!」
「一応な。まあでもこの手の式典は、延びない方が珍しいから」
キーボードを運び終えた七雲が拉流に応じながら、自分のベースをチューニングする。一つ大きく息を吐いて、踏夜も自身のギターの音を合わせていく。手早く済ませ、二本目のギターを手に取る。
「お前らさあ……特に篠崎と久賀は、来年も生徒会続けるんだろ。こんな時期に、問題だろこれ」
そもそも問題児扱いされがちな拉流や不登校気味の踏夜はともかく、である。チューニング片手に見やれば、七雲はからりと笑った。
「やー大丈夫大丈夫」
「大丈夫ってなにを根拠に……」
「おーいやってるかい少年たちよ」
遮るようにかけられた、抑揚のない声を反射的に目で追って、踏夜は瞠目した。相変わらず余裕たっぷりすぎるパーカーの肩に大きな鞄を引っ提げた、その姿をみるのは、かの四校合同文化祭子の写真交換会振りの二度目であった。
「……みちぐさ……」
「せーかい、路種遊歩でーす。ひさしぶりー、えっと、つ、つー……つーくんだから、つかさくん? 塚本とかだっけ」
「誰だよ塚本つかさ」
「月島っすよ、月島踏夜」
名前を覚えるのが苦手だというのに、都内屈指の名門、南都高校に通う路種遊歩は、踏夜や九音よりも数段衰えた表情筋をちらりとも動かずに、そうだそんな名前だった、なんてとぼけてみせる。冗談なのか本気なのか分かりにくいことこの上ない。
「てゆーか君たちさあ、一直線に中庭向かったでしょー。まあ今日は外部の出入りも多いから咎められにくいけどさあ」
遊歩はその手にむんずと掴んだネームタグの束を掲げてみせる。踏夜はいよいよ目を剥いた。
「来校証!? これ学校公認なのか!?」
「そうそ、なんなら俺らも公休扱い」
「ちなみに南都は卒業式早いから、俺はフリー。で、中継係」
遊歩が鞄から取りだしたのは、いつもの一眼ではなくビデオカメラ。いよいよ嫌な予感がする。
「おい……」
「さすがにこないだの文化祭レベルの機材は動かせないから、テレビ電話活用するんだよ。遊歩さん、カメラこっちのパソコンと繋げます?」
「おっけー、ケーブル一応いろいろ持ってきたから、いけるはずー」
「テレビ電話活用するって……」
踏夜がきいていた今回のあらましは、篠宮高校の卒業式に、くだんの文化祭の有志バンドのメンバーである片倉巡璃の卒業をサプライズで祝いに押しかけライブをするというものだったはずだ。
頬をひきつらせる踏夜に、七雲ははてと首を傾げた。
「ああ、言ってなかったっけ? 椿之宮と暮枝も卒業式今日だからさ、せっかくなら中継するかーって」
「白山は残念ながら明後日なんだよなー」
「きいてねえ……」
頭を抱える踏夜に、遊歩が歩み寄ってきて慰めるように肩を叩く。なんだろう、普段から表情の変わらないひとだが、なんだか今は面白がってないだろうか。
「つか、よくこんなの、学校公認まで漕ぎ着けたな」
「お祭り騒ぎ大好きな双子がいるからね」
配線を終えた九音がスカートを叩きながら遠い目をする。ああ、と思い当たって、踏夜も考えることをやめた。確かにあの双子が一枚噛んでいるのなら、これくらい容易いのかもしれない。なにせ先の四校合同文化祭を「面白そうだから」であっさりとごり押したスポンサーである。
「二月から連絡、椿之宮はおおよその式典終わったって」
「こっちも水瀬から、暮枝はそろそろ退場しそうだってよ」
「えっ、まてまてまて!」
拉流の報告に、ぎょっと七雲が目を剥いた。そりゃ他校なのでラグはある。多少ですんでいるのが奇跡なくらいだ。
「篠宮はまだ嶋本さんからの合図ないけど……仕方ないかぁ」
「は?」
「踏夜準備良いかー!?」
「いやまて」
「そもそもリハなんてする予定もなかったけど」
「おい!」
「遊歩さん繋いじゃってください!」
「おっけー」
「おっけーじゃねえ!」
なんて、言葉だけで彼らが止まる訳もなく。覚えのあるギターのイントロは、七雲が爪弾いていて目を疑った。文化祭のステージでは巡璃が弾いていたフレーズである。いつのまに練習していたのか。
講堂の方からざわめきが聞こえてくる。それから、悲鳴みたいな声も。学校公認とは言っていたが、どこまでサプライズなんだろう、ぶっ倒れてる教員とかいないか、柄じゃないが、心配だ。
メンバーを見やると、拉流はスティックを構えてうずうずしているし、九音は少し緊張してるんだろうか、目も合わない。七雲はというと、早く代われといわんばかりの視線をくれた。……確かにこのところ強請られてギターを教えたりもしていたが、手元を見ずにギターソロ、余裕である。基本的に良い奴に違いないのだが、たまに凄い腹が立つ。
しかしまあ、始まってしまったのなら、やるしかないかと遊歩をちらりと見る。ビデオカメラを向けていないところをみると、まだ音しか行っていないのだろう。やめろ、ぐっじゃない、親指を突き出すな。
腹を括って、踏夜もギターを構えた。マイク前へ向かいながら、七雲のギターにユニゾンしていく。それに気付いた七雲が手早く巡璃のギターを置き、自分のベースを手に取った瞬間、待ってましたとばかりに拉流がスティックを叩きつける。いよいよ講堂のざわめきが大きくなった。
忘れもしない、文化祭で披露した楽曲である。
……というか、練習不足のため、一曲しか用意できなかったので、予定のなかったアンコールも同じ曲で乗り切った訳だが。その特徴的なイントロは、篠宮生の記憶にもばっちり焼き付いていたらしい。
「巡璃! 中庭で待ってる!」
なんて、愛の告白じゃあるまいし。気がついたらこちらを向いていたビデオカメラを、適当に指さして退かす。その先にいた九音は一瞬訳が分からないという顔をして、早口に言う。
「えっ、えっと、あたしだけじゃこいつら止まらないんで!」
「反対に加速もしねーけどな!」
横入りするように、馬鹿でかい声で拉流も叫んだ。カメラ向いてないっていうのに。しかし遊歩は別に慌てた風もなく、一瞬拉流を撮してそのまま七雲へと向かう。
「止めるも、さらに盛り上げるも、巡璃さん次第ってことで。ディジーサンフィストやるまでにはきてくださいよ!」
「めぐさーん、これね、とーやとすばるの学校にも生放送だから。なるはやね」
遊歩はくるりと一瞬自身の方にレンズを向け、お得意の自撮り(ビデオカメラでも自撮りというのだろうか)を披露して、再び踏夜たちの方へと向けた。そのレンズの先には、先ほど七雲が爪弾いていた巡璃のギターがある。
講堂でひときわ大きく悲鳴が上がった。このぶんならサビにでも巡璃も合流できそうだ。椿之宮の会長は、意外とこういうの好きなようだから良いとしても、暮枝のケチケチオヤジは頭を抱えていそうなものだ。……水瀬は早めに避難しておいた方が良いんじゃないだろうか。
あの文化祭以降、時折スタジオセッションをするようになった。名前は、誰が言い出したか、「Free Rule」で借りる。
フリールール。無法地帯、なんでもあり。それぞれがやりたい曲を提示して、ざっくり合わせる。バンプをはじめ、ウィーバー、スピッツ、エメ。メンバーの趣味もあるのだろうが、馬鹿みたいに明るい曲が多い。それが、九音の言うとおり、存外楽しかったりするので、困るのだ。巡璃の卒業が、らしくもなく惜しくなってしまう。
別に卒業式がこの世の終わりってわけじゃない。けれど確かになにかの区切りではある。だからってお祝いに花束なんてもっと柄じゃない。じゃあ代わりに、歌を贈ろうと言ったのは、拉流だったかもしれない。それは不思議と踏夜の中ですとんと落ちたのだ。
言葉よりもよほど気楽で、花束なんかよりも価値あるセッションを。いつかやったバンプでも、スペシャルサンクスでも、ハンブレッダーズでもいい。でもきっと最後は、テンポもむちゃくちゃに、みんなで歌うのだろう。
卒業式だっていうのに、彼女の髪色は目立つままだった。胸元にコサージュを揺らして、彼女のことだから、友人たちとの別れを惜しんで泣いていたんだろう、赤い目元を、けれど今はきらきらと輝かせている。
手を振る遊歩とハイタッチして、九音の後ろから抱き付いて、七雲の頭を掻き回して、拉流は素通りして文句を食らって。仕上げとばかりに踏夜の肩を叩いて、マイクをジャックした。
「みんなありがとー! そんでもって、卒業おめでとー!!」